海のキレイな街から、山のキレイな街へ。都会も田舎も、海外も日本も経験し、そして今はタイルにイノベーションを起こそうと立ち上がった彼女が今回の多治美人のゲストです。
熊本県水俣市出身。水俣という言葉を聞くとどうしても「水俣病」を思い出してしまいます。親族もその公害の影響を受けており、祖父が漁師だったこともあり常に身近な問題として存在していたという。水俣市も長い時間をかけて環境を取り戻す取り組みを行ってきた。
そして現在は、タツノオトシゴやサンゴが生息するほど美しい海を取り戻し、環境都市として復興を成し遂げている。家の前が海という自然の中で、父親と船に乗り釣りに出かけるのは楽しみであり、寡黙な父親と交流できる特別な時間でもあったそうです。
大学から生まれ育った街を出て、東京に移住します。教員免許を取得しましたが、塾講師などの仕事に就きます。しかし毎日毎日の採点作業、早朝深夜の電車に疲弊し始めてしまいます。そんな時、中学の担任の先生から中学の英語教師を探しているとの連絡がきます。短い期間だったため、東京に籍は残しつつ水俣市に戻り臨時教員として働き始めます。そして在職中に懐かしい出会いが待っていました。自身が中学3年生の時にアメリカのモンタナ州へ引率して下さった先生が、校長となっていたのです。そこでも臨時の教職員を探しているとのことで、東京の自宅は引き払い本格的に中学の英語講師として働き始めます。
中学校講師として働いていましたが、英語のスキルアップや児童英語を学ぶため、カナダのバンクーバーに留学します。そこでマーケティングやビジネスの勉強で留学していた現在のご主人と出会います。教室で隣の席になったり、ホームステイ先が近くであったりと何かと顔を合わすことが多くなり、まるで家族のような存在になっていったそうです。5歳年下で、これから社会人なるというご主人でしたが、絶対に結婚したいとの想いが強く将来を誓い合った矢先に妊娠がわかり、半年の留学を終え帰国します。空港で一旦それぞれに帰省し、その後ご主人が熊本にご挨拶にこられ、多治見市に身一つで移住する事になります。海外での運命的な出会いがあり、そして縁もゆかりもない土地に来たのは彼女が26歳の時でした。
当然こちらには身内も、友達もいない。今のようにネットコミュニティもない頃、お子さんの5か月検診で保健センターに行ったとき、とにかく友達を作りたいと連絡先の記載したメモを持っていたと言います。そこで出会った子育てのフィーリングが合いそうな方に初めてメモを渡し、こちらで初めての友達ができます。
初めての子育てで不安はありつつも、赤ちゃんでも「英語」を「おもちゃ」にして遊びながら楽しめることに気づきます。当時は英語の講座などは年齢制限があり、0歳児、1歳児が通えるところがありませんでした。そのためいつか、年齢にとらわれず、気軽に通える親子の英語の会を開きたいと考えるようになったといいます。
そして長男が10か月の時、英語の読み聞かせの会「Brown Bears」を立ち上げ、月に1回子ども情報センターで年齢制限のない英語の会を始めることになります。会の発足にあたりメンバーと引き合わせてくれたのが、メモを渡してできた初めての友だちでした。
はじめての試みでしたが、60名の定員のところ100名を超える参加者が集まり話題を呼びます。そこで子ども情報センターの担当の方から講座として始めないかとお話をいただき本格的にはじめる事になります。しかしその時代、0歳~3歳親子英語に関する教材もほとんどなかったので、自身で指導書や教材も作っていたと言います。
子育てしながらの活動や無いものを作っていく過程は大変でしたが、自分のように知らない土地で子育ても不安で孤独になりがちなママ達がこれをきっかけに集まり、「えいご」という「おもちゃ」を使って子どもさんと一緒に楽しんで成長を見守る場所を作っていく事に楽しさややりがいも感じていたと言います。
ご主人の実家は創業71年という老舗のタイル・石材の卸売会社。国内販売はもちろん、輸出入により幅広いデザインを取りそろえ、それぞれのニーズに合わせ特注生産・加工も行っています。
家業はその次の世代の夫婦で繋いでいくという風習もまだ色濃くあった時代ですが、ご主人のご両親は嫁である彼女に家業を手伝う事をまったく強要せず、児童英語講師の仕事を続けさせてくれていました。
この講師業を続けていく事に何の障害もありませんでしたが、彼女の気持ちに転機が訪れます。
自身で教材まで作り、児童英語の講師を育成することも経験し、教室も何カ所でできるようになった。
そして自分と同じように0~3歳親子英語の教室をしている方も増えて来た時、〝ここはもう違う方に任せて次のフェーズに行ってみよう〟と思うようになったと言います。そしていつも見守り支えてくれているご主人の両親への感謝と、家族や家業を支え家庭円満に過ごすことが、遠く離れている実家の両親への親孝行にもなるという思いもあり、この会社を少しでも支えていきたいという気持ちが芽生えていきます。
そんな中、英語教室を引き継いでくれる方も現れ、いよいよ本格的にタイル業界に入っていきます。
はじめはタイルの数え方(数の専門用語がある)も知らない、電話の出方もままならないという初歩の状態でした。長くこの会社の営業として活躍されてきた女性の従業員さんが見えましたが、その方も78歳という年を迎えられ退職となった場合、その営業の大きな穴を埋める事は容易い事ではありませんでしたが、自分が引き継ぐことになります。一通りの仕事は覚えますがタイル業界に知り合いが一人もおらず、事務所にこもる日々でした。そんな中、「美濃焼タイル女子会」というグループにお誘いいただき、業界の方との繋がりもできるようになります。
タイル業界ではまだまだ新人の彼女が、多治見市ビジネスプランコンテストに出場したのは2022年の1月。
そこにはどんなきっかけがあったのか?
会社の倉庫にもう今は生産されていないヴィンテージタイルがたくさん眠っていました。あまりに衝撃を受け感動し、このまま人の目に触れないのはもったいないと自身のインスタで紹介していました。しかしこの歴史的価値の高いタイルを手間をかけて洗い、1枚づつ販売しても1枚700円ほど。このタイルの価値が正当に評価されていない事に虚しさも覚えていました。
そんな事をNPO法人ママズカフェの理事である山本さんに伝えたところ、会わせたい人がいると紹介されたのが、iie designの村田純子さんでした。一級建築士である村田さんは自身の自宅に事務所を構え、環境にやさしい家つくりをコンセプトに、空間デザインやリノベーションを提案されています。
初めてお会いした時には、山本さんから、人もモノも街も再生していくというのをテーマにビジネスプランコンテストに出てみてはどうかと提案があり、そこから目まぐるしい日々が始まりますが、自分事としてビジネスプランコンテストに挑戦する事を人に伝えられたのはその3か月後だったと言います。その後、山本木工所さんも紹介されたのは2021年5月。8ケ月後の2022年1月のビジネスプランコンテストへの挑戦がはじまります。
彼女が新事業プランとして掲げたのは、ヴィンテージタイルをアートやインテリア、家具へと施すことで、新たな価値を生み出す。アーティストや木工の職人などコラボにより、今まで倉庫で眠っていたタイルが生まれ変わり、人々の暮らしを豊かにする。その名は「Reborn」(リボーン)
不安ばかりでしたが、こういったチャンスは何度も訪れるわけではない。今がそのタイミングだと覚悟を決める事が出来た時、周りの人に話せたと言います。大賞は逃したもののビジネスプランコンテストは、自分もタイルに関する考えを変える本当によい経験だったと言います。
おかげで倉庫に眠っていたタイルも日の目を浴びる機会を得て、「Reborn」のヴィンテージタイルを通してその歴史や、資源について、タイルの産地多治見についてなど語る機会をいただくことも増えました。タイルを販売するだけでなく、人とのご縁をつなぐ大切な役割があると感じています。
ビジネスプランコンテストは一つの通過点。まだまだ進化させていきたい事はあります。
会社はタイルの商社ですが、少しずつヴィンテージタイルの復刻盤を作り、デザインタイルと言えば「Reborn」と言われるように展開していきたいと考えています。またご主人は国内販売と共に貿易も担当しており、いつか自分も海外出張に同行して、この『Reborn』ブランドの価値を高めていくような活動をしたいとの事。
まだ、子供が小さく手がかかる時に、自然育児森のわらべ多治見園の浅井さんから、「あなたの夢は何ですか?」と聞かれた事があった。まだ子供も小さくてそんな夢なんて…と思ったが、児童英語が楽しく学べる教室を開きたいと発表した後、周りからの後押しができ実現できた。そしてそこを引き渡し、家業に入る時も、ビジネスプランに挑戦する時も、人に夢や実現したいことを語ったところから、回りから押し上げられる。常に目の前にきたチャンスをつかもうとする人にしかやはり実現は訪れないのだと、彼女から改めて感じる事ができた。
しかも、その夢の内容は決して今十分に存在するもので無く、ゼロから1にするもの。
火の国熊本からきた開拓者は、新たな火を携え、炎のまちこの多治見でこれからどんな情熱を燃やしてくれるのか。楽しみに今後の活躍を応援したいと思います。
女性は気分で着たい服も変わります。行く場所などで、その雰囲気に合わせたファッションで楽しむのが好きです。
笠原タイルツアーでここの神社を紹介するようになって、タイル業界を意識するようになりました。
ここに、モザイクタイルの先駆者であった山内逸三氏の「神馬 天空に駆ける」という作品があります。笠原町出身の山内氏が、地元の発展を願って作られこの神社に奉納されている事で、山内氏の郷土愛を感じ、技術をたくさんの方に惜しみなく広めた事で、この土地の産業や人の発展の原点がここにあるような気持ちがします。
「私、多治見市が本当に好きです!」と。タイルや焼き物という歴史や文化がある事は当たり前でないし、その文化を続けるために、技術の高い職人さんがいる事は素晴らしいと思います。
子育てもしやすいと思っていますし、何かにチャレンジしたいという人を応援してくれる方も多い気がします。
いいところであげたところの反面、技術の高い職人さんがデザインした商品がどこで使われたか知らない方もたくさんいます。
以前行った京都の金閣寺にあるお手洗いで、地元のタイルが装飾で使われていた。それを写真に撮って、その職人さんに見せたらとても喜んでみえました。そのデザインタイルに娘さんの名前を付けていたらしいのですが、今度娘を連れて観に行きますと言われました。自分が生み出したデザイン商品が、国内・海外の有名な観光地や施設で使われている事がわかれば職人さんのモチベーションが上がるなと思いました。
あとは、子供が安全に遊びに行ける場所(屋内設備など)がもう少しあったらいいと思います。
取材・ライター・ヘアメイク |
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山下真美子 (POLA 紗ら) |
コーディネート |
: |
鈴木利奈子 |
ネイルデザイン |
: | 小林八智子(ネイルサロン トレゾール ) |
カメラマン | : | 勝股聡子 |
メイキング動画 | 富田由芳(ロージーチークス ) | |
Webサイト制作 | : | 馬場研二 |