音楽に携わる活動をしている人たちは五万といるし、音楽のジャンルは今現在では多様に渡る。
音楽が人の心を元気にしたり、癒したり、または感性を刺激されたり、その効果は計り知れない。しかし、人の好みは移り変わる。時代とともに流行り廃りもあるのも確かなのです。
そんな中、ひとつの柱となるコンセプトをもって15年前から多治見で音楽活動を続けている団体がある。そのメンバーのお一人が今回の多治美人のゲストさんです。
本職は特別支援学校の教員。様々な障害を抱える子供達に教えてもらった発見の連続とは。音楽が子供たちにもたらす影響とは。今回はプロジェクトメンバーの店舗にお招きしお話をうかがいました。
優しい笑顔が印象的な富美さん。終始穏やかな空気の中インタビューがはじまりました。
多治見市出身で現在も多治見市在住。現在の職場である可茂特別支援学校は今年で4年目となるそうです。
もともと教員を目指して就職活動をしていたかと思っていたら、まったくそうでは無かったとの事。
大学は愛知県長久手にある、愛知県立芸術大学に通われ、そこでは音楽学部で声楽を専攻されていました。大学4年生の時に、卒業後の就職先は実はYAMAHAさんに決まっていました。
たまたま大学の事務方のほうへ出向いたとき、その担当の職員さんに「就職先決まった?」と聞かれたそうなのです。すでに内定をもらっていた為、「決まりました」とお返事をしたところ、「あっ、だったらいいです~」と言われた事がなんだか心にひっかかってしまったとの事。後日、また事務方のほうへ出向き、あの時の言葉の意味を尋ねると、岐阜市の方で音楽の常勤講師を探している。しかも長良の養護学校で。と告げられます。富美さんの中で、前もひっかかったように、この養護学校での音楽講師も何だか気になってしまいました。
就職先が決まっていた富美さんでしたが、この養護学校の見学を申し出て、一度学校を見てみる事にしたようです。
長良の養護学校を案内されている時に、多目的教室で、音楽の先生が何人かの車イスの児童の前で鈴を鳴らしていました。それを見ていた一人の女の子がニカ~と満面の笑みを見せたのです。私にとっては鈴だけでも笑うんだ~と、なぜだかとても感動してしまったのです。芸術大学でもっと専門的な音楽の勉強をされていた富美さんですが、音を聴く、鳴らすというとても単純な事でも障害を持つ子供たちにとってシンプルに楽しい事なのだと感じられた瞬間だったようです。
ここでの見学で感化されてしまった富美さんは、内定が決まっていたYAMAHAさんをお断りし、養護学校への就職を決断されます。1年間は常勤講師として勤め、在籍している間に教員試験を受け免許を取得されます。
養護学校では、1クラスに担任が1人、副担任が1人が配属されていました。
そこでは、音楽を教えてくれる先生の補助として、子供たちに歌や楽器などを教えていました。
長良の学校で1年の講師経験を積み、次は新任として岐阜の盲学校へ転勤となります。
「ここでは驚きと発見の連続でした」と。
「目の見えない生徒さんとどう接していいのか、本当の事をいうとかなり身構えていたんです」と。
そこの先生に学校を案内してもらっている時、盲学校の生徒さんが、その先生とすれ違い様に「〇〇先生おはようございます」と先生の名前を呼んでいた。私はすぐさま「今の生徒さんは少し目がみえるのですか?」とたずねると先生は「全盲の生徒さんですよ」と。「なぜ見えていないのに先生の名前がわかるのですか?」とたずねると「足音で判断しているから、先生を足音で聞き分けて覚えているよ」と。
すごく衝撃でした。目が見えないといって、ゆっくり歩く子供達も少なくて、階段も何段目で踊り場があって何歩くらいで教室があるという事を、感覚で理解している。だから目が見えているのではないかというくらいの速さで階段もおりていく事ができるのです。運動会のリレーなんかも伴走する先生のスピードをヒントに全力で皆な走り、取り組んでいました。出された給食も「何時のところに〇〇がおいてあるよ」と説明すれば、助けはなくても自ら食事する。自分が思っていたより、子供たちはちゃんと他の能力が発達しているし自立していると感じました。
音楽に関していうならば、点字の音符がある事にも驚きでした。
曲を聴いて覚える子が多い中、全盲でピアノをひく女の子は点字音符を読みながら演奏していました。
もし全盲な方と接する事があったとすると、歩行の時、しっかり腕ももって導いてあげないとと思いがちですが、実際には後ろから腕をつかんでもらうか、肩に手を乗せてもらえれば、その方の感覚を邪魔することなく歩いてもらえるそうです。またここまでは何センチくらいですと伝えてあげてもモノの大きさを把握できて動けるとの事。
もしわからない場合は「どのようにお手伝いすればいいですか?」と聞いてあげた方が親切だと言われます。正しい助け方を理解しておくことが、障害者の方と寄り添う事なのだと富美さんのお話をきいて感じました。
ここで5年間勤務されますが、ここでの経験はその後の教員人生にもおおきな学びとなっています。
その後、各務原、土岐の特別支援学校を経て、現在の可茂特別支援学校に至り、教員として30年を迎えられます。
仕事の傍ら、『ミントの会』という音楽団体でも活動をされています。ミントの会は一人でも多くの皆様に音楽の良さを伝えたいと、陶都楽友協会という音楽家・音楽愛好家のメンバーから派生し、ピアノと声楽メンバーからのスタートでした。
第1回目のオータムコンサートを2005年10月にバロー文化ホール(旧多治見文化会館)で開催されます。
富美さんは発足当初からのメンバーで、担当は声楽。
第1回目は秋での開催でしたが、その後は毎年5月3日開催を恒例とし、年に1度バロー文化ホールの小ホールで開催しています。
身近に音楽を楽しんでもらいたいとの思いから、唱歌であったり日本歌曲を取り入れ、お客様にも口ずさんでもらえるように選曲しています。
こういったコンサートを15年も続けていく事は、意外と大変な事だと思いますがと質問すると、
「代表の斉藤順子さんを筆頭に、現在のメンバーの皆さんで楽しみながら取り組んでいます。」との事。
お客様もはじめは知人や友人に声をかけて集めていましたが、最近は紹介で連れてきてくださるお客様も増えました。
今では『5月3日はミントの日!』が観客を観客を巻き込んでの合言葉になっています。
さらにミントの会には、もう一つの想いが。自分達やお客様に楽しいだけではなく、この活動を社会貢献につなげていきたいとの事。平成17年からのコンサートを皮切りに、収益の一部を各団体に寄贈するという具体的な支援をしていらっしゃいます。
ここで1部、過去の収益の寄付金をご紹介いたします。 | ||
平成17年 | パキスタン地震災害 | 義援金46,000円 |
平成19年 | 能登半島地震災害 | 義援金70,000円 |
平成21年 | ACFアジア子ども基金 | 10,000円 |
平成22年 | 多治見市社会福祉協議会 | 10,000円 |
平成23年 | 東日本大震災 | 義援金50,000円 |
平成25年 | 陸前高田社会教育施設整備基金 | 30,000円 |
平成26年 | 南三陸町災害 | 義援金30,000円 |
平成27年 | 熊本地震災害 | 義援金30,000円 |
平成29年 | 九州北部豪雨 | 義援金30,000円 |
平成30年 | 西日本豪雨 | 義援金30,000円 |
今後も微力ながら、この活動を通して、音楽の素晴らしさをお伝えしていき、皆様のお気持ちやコンサートでの収益をこのように義援金として支援できたらと考えています。
年に1度のコンサートですが、また16年20年と続けていきたいと話されました。
大学卒業後、専門的に音楽を極め音楽家になった友人もいますが、自分は子供たちに、より音楽の楽しさを教えたい、一緒に楽しみたいという方が向いていたと思います。
「私、子供たちが笑っているのが大好きなんです!」という富美さんも人を包み込むような笑顔で、たくさんの子供達にたくさんの笑顔をもらい、また与えてきたのではないかと感じました。
仕事柄、動きやすいものを着ている事が多いですが、ミントの会のコンサートの時はカラフルなドレスを着たりして化けますよ(笑)
ミントの会でのコンサートで毎年お世話になっているのもありますが、ここは色々な文化が集まる場所です。
音楽・演劇・歌舞伎・落語・アート展示多種多様なものを発信できる施設が市内にあるのはステキだと思います。古い施設ですが、これまで出演した方の想いがつまっている気がします。
意外と音楽活動やイベントが盛んだと思います。市民団体でコンサートを開催(ステージを作れる)してしまうようなパワーのある方も多いのはすごいところだと思います。
車を使わないと行けないところも多いので、公共交通機関が充実するといいなと思います。これから高齢者で免許証を返上した方が増えても、バスで移動できるところがたくさんあるといいですね。
コーディネート・取材・ライター |
: |
山下真美子 (POLA 紗ら) |
ヘアメイク | : | 鈴木利奈子(POLA THE BEAUTY多治見住吉店) |
動画撮影編集 |
: | 富田由芳(ロージーチークス ) |
ネイルデザイン |
: | 小林八智子(ネイルサロン トレゾール ) |
カメラマン | : | 纐纈愛弓(Petit Ange プティアンジュ) |
ウェブサイト制作 | : | 馬場研二 |