厚生労働省が発表した「2018年簡易生命表」によると、2018年の日本人の平均寿命は、男性81.25年、女性87.32年と前年に比べて男性は0.16年、女性は0.05年上回っています。
平均寿命の国際比較では、最新のデータによると日本女性は第2位、日本男性は第3位(ちなみに男女とも第1位は香港)さらに、2019年9月の時点で100歳以上の高齢者が初めて7万人を超えました。
まさに日本はご長寿大国。医療技術の進歩と高齢者の健康の意識の高まりなどにより、今後も増加すると考えられております。
健康で元気に年を重ねていきたいと願う事は誰しも同じです。しかしながら、長い人生の中で健康に支障がでたり、体が思うように動かなくなったり、また脳の神経細胞が障害を受けて死滅減少していく事でおこる〝認知症〟を発病しないとも言い切れません。人は年を重ねれば、必ず誰かの〝助け〟が必要となるのです。
超高齢化社会の中でますます需要の高まる、看護や介護職。
皆さんは介護職にどんなイメージをお持ちですか?体力的に大変!?辛い、キツイ仕事!?人間関係大変そう!?汚い事もしなきゃ!?
そんなイメージは彼女のインタビューで一掃されました。
新しい介護の形、そして働き方を開拓実施してきた、認知症専門デイサービスの若き施設長さんが、今回の多治美人ゲストさんです。
介護職をキツイ、辛いものととらえず楽しく働くための改革とは?利用者さんとの新しい関わり方とは?会社や施設の垣根を越えて、介護職に携わる方の『輪』作りとは?
今回は施設にお伺いしてのインタビューとなりました。
施設に入ると、彼女と施設のスタッフさんも快く迎えてくれました。原色に近い明るいTシャツ姿、超ロングヘアを一つにまとめ、カラカラ利用者さんにもスタッフさんにも明るい笑顔をふりまいています。
「原色とか蛍光色は利用者さんに認識してもらいやすいので」と。
多治見市生まれの多治見市育ち。現在も多治見市に在住している彼女は、今のお仕事をする前は、ずいぶんと転々としていたようです。
高校卒業後、大学まで進学されますが、中退され、広告代理店に就職され営業や編集の仕事をされていました。
そこは1年ほどで退職し、当時開催されていた愛知万博(愛・地球博)のバイトをしていましたが、母親が体調を崩し介護休業に入ります。その後、アウトレットでのアルバイトを5年ほど続けられますが、今度は父親が体調を崩し介護へ。1年くらいは単発のバイト生活をして過ごしてきたとの事。
現在施設長を務める「池田亭」へは、派遣スタッフとして働き始めたのが最初でした。両親の介護はしてきたといえども仕事としての介護職はまったくの未経験でとまどいの連続でした。その精神的疲れからなのか、めまいが止まらず、2~3週間仕事を休んで復帰してきた頃、利用者さんから3時間怒鳴り続けられた事が!
「3時間怒鳴り続けられた後、頭の中が、いわゆる〝無〟な状態になったんです。そして怒鳴り続けられて辛いという感情よりも、なぜこの方は怒鳴っているのかな?という探究心が生まれてきたのです。」
ゆくゆくちゃんと話を聞いてみると、自分が言いたい事を一生懸命伝えようとして声が大きくなっていただけの事で怒っていたわけではなかった。ちゃんと理由を知って、自分も相手を知る事が必要だったのだと気づかせて頂けたと言います。
その一件があった以来、がむしゃらに認知症に対しての勉強を始めます。彼女の探究心はますます加速し、派遣スタッフから1年後、会社から正社員にならないかとお話があり、その正社員=施設長でした。2012年の頃、彼女がまだ30歳の時です。
「私、性格的に人に従うことが嫌いなんです(笑)。自分の自由にやりたいと思っていて。」
一見破天荒な発言にも聞こえるかもしれませんが、この言葉の裏には相当な覚悟や責任を持って取り組んでいると感じました。
まずは施設の中の環境(雰囲気)を良いものにしたいと考えたと。
「自分の考え・やり方に人がついてきてくれるのかと不安もあったのですが、多治見市が開催している市民討議会で委員長を務めた事もあり、人にお願いする事とか動いてもらうために何をしたらいいのかという事も勉強できた経験で少し自信もできてきたので、施設長もチャレンジしてみようと思えたのかもしれません。」
「私は福祉系の大学や専門学校を出ているわけでもなく、まったくの未経験からのスタートでした。介護の勉強はひたすら本とYouTubeです。でも返って何も知らなかった事で、利用者さんに直接聞いたりして本当に要望している事は何かという事を経験の中で気づけていけたのが良かったかもしれません。」
彼女の介護に対する考え方は、『見えない介護』です。見えない介護とは考える力、できる力を奪わない事だと言います。例えば、利用者さんが食事の時間に食べない時があります。その時に無理に食べさせるのは、こちら側の都合です。利用者さんは食べられないのではなく〝食べたくない〟かもしれない。だから食べたくなるのを待つのです。その方の意志を尊重します。
取材当日、利用者さんのいらっしゃる部屋にお邪魔しました。利用者さんがスタッフさんと一緒に皿洗いをされていました。
利用者さんにしてもらえる事たくさんありますよと。
「肩をもんでもらう事もありますし、前にスタッフの育成で悩んでいた時に、過去に大企業の人事担当をしていらっしゃった利用者さんに相談したら、すごくいいお話をしてくださいました。もう講師料払わなきゃいけないレベルのお話で(笑)。」
もちろんここは認知症専門デイサービスですので、そのお話をされた方も認知症認定のある方なのです。私は介護はやってあげる事が介護と思っていました。認知症=すべてできないでは無いのです。利用者さんが出来そうな事を頼ってみる。そしてこちらが助けてもらった事に感謝する。それによって何か役にたっていると思ってもらう事が、見えない介護、すなわち、〝しない介護〟なのだと思いました。
もともと利用者さんも認知症になる前は、本当に家族のため会社の為、社会の為に一生懸命生きてきた方たちなのです。だからこそ、人に迷惑かけてはいけない、恥ずかしい思いはしたくなくという自尊心が高い。認知症になった途端、世間のお荷物とされてしまうのは、あまりにも悲しい。
介護はやってあげられることばかりを勉強したり提供する事でなく、たとえ簡単な事でも自分以外の誰かの為にやってあげられる事や場所を作ってあげる事も大切と智恵子さんは語ります。
その場作りとして考えているのが、『積み木プロジェクト』。利用者さんに廃材を磨いてもらって積み木にし多治見市内の幼稚園にプレゼントできないかと考えていますとの事。
今までとは違った斬新なアイデアや考えを取り入れる事で、職場の雰囲気も変わり始め、介護職を楽しんでもらえるスタッフも増えていっているようです。
こちらの施設長のお仕事以外に、智恵子さんが主体となってスタートした活動に、『介護☆向上 カフェ』があります。
こちらは介護現場で働く人限定での云わば交流会です。2か月に1度くらい開催していますが、ここでは介護技術や知識を増やすのはもちろんですが、現場での悩みまでも相談できる場所になっていますとの事。大垣や大府の介護施設で働く方も参加された事もあるそうです。ここで私がある質問をしました。
「施設の違うところの職員さん同士だと、会社の待遇面とか仕事のやり方の違いなどで、こちらの施設の方がいいな~なんて思われてしまいませんか?」と。今や民間企業が施設運営しているところも多く、人材確保のために躍起にやっているところも知っていたので、あえて意地悪な質問をしていました。
「この交流会の意味はみなさんがここでしか話せない悩みを打ち明け、それを解決するためにどうしたらいいのかを皆で考え、最終的には介護全体のレベルがあがり、介護という仕事を通して叶えたい夢まで語れるようになる事。その事を、各施設長さんにお話しし、ご理解いただいたところの職員さんが参加いただいています」
と。彼女の働きかけにより、この垣根を越えた交流会は徐々に広がりをみせ、同じ気持ちで頑張っている介護職の仲間の『輪』を作っています。
池田亭には、他のデイサービスでは介護は無理だと、利用を断られてしまった、中・重度の認知症の方も受け入れています。
認知症専門であるのにデイサービスにしたのは、送迎時にその家族の方に会えるからだといいます。
「やはり介護には家族の方の理解と協力が不可欠です」と。その方の食べ物の好み、生活環境において好む事と嫌がる事など、家族の方に細かく聞く事があります。これは家族の方が利用者さんに無関心にならないように、任せっきりにならないように、家族の方にちゃんと利用者さんの事を知ろうとし、施設のスタッフに伝えて頂く事で、両方のコミュニケーションを大切にしているとの事。
当施設スタッフ、利用者さん、利用者さんの家族、そして地域の介護職員さん、行政などたくさんの方とのコミュニティーを作り、より認知に関する理解を深めていっていると彼女の話を聞いて思いました。
はじめに彼女とお会いして取材撮影日を決める時、「基本いつでもここにいるので、たいてい何日でもいいですよ」と答えてくれました。
「お休みとか無いのですか?」
「ここに来て皆さんと一緒に暮らしているので、あまり仕事という感覚は無いんですよ」と。
一人の女性の利用者さんとの写真を撮らせて頂くときに、一緒にブランケットにくるまってその方と話はじめた彼女。知らない人から見たら、まるでお婆ちゃん子の孫のようでした。そこに認知症を介護しているという雰囲気はなく、ごく自然に見えた。
「どう残りの人生を笑って過ごすか、最後を迎える時にとても大切です。ここの利用者さんにはできるだけ笑って過ごして欲しいです」と言う彼女。若い時から家族の介護をしてきた彼女だからここにいる利用者さんは祖父・祖母のように、介護する人、される人の概念は少なく、一緒に楽しく生活してくれる方々なのです。
よく着ているのが、原色とか蛍光色ですね!ピンクとかイエローとか好きです。
施設でも原色のTシャツとか着てると、私ってわかってもらえます(笑)
〝とうさいのみち〟と読みます。笠原鉄道の跡地で私の小学生の時の通学路でした。道沿いにある木々が毎年大きくなっていき、自分の成長と重なる部分がありました。ここは桜の木も多く、春はとてもキレイです。
自分を見つめ直す場所でもあります。
地域活性化のために頑張っている方が多いところですかね。
自分達の力で頑張ろうとしている方、昔のものを大切に守っていこうとする方など、様々な角度で好きな街を良くしていきたいと活動されていらっしゃいます。
取材・ライター |
: |
山下真美子 (POLA 紗ら) |
ヘアメイク・コーディネート | : | 鈴木利奈子(POLA THE BEAUTY多治見住吉店) |
動画編集・コーディーネート |
: | 富田由芳(ロージーチークス ) |
ネイルデザイン |
: | 小林八智子(ネイルサロン トレゾール ) |
カメラマン | : | 勝股聡子 |
Webサイト制作 | : | 馬場研二 |